No.538: さよなら。
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2006年03月22日の日記の概要
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.西暦2006年3月22日水曜日19時50分。
我が家の愛犬タローの死亡を確認。老衰だった。まだ触れると生きているようにお腹は温かかったけれど生きてはいなかった。瞼を閉じてあげて、周りを綺麗に掃除する。
今日の日記は我が家の愛犬追悼に100%捧げます。
そのかわり明日から触れない予定。
今日だけしんみり。
昨夜から明け方にかけて何度も泣いていたがきっと腹水がたまり苦しかったんだろう。(その時間に風呂に入っていた)
それでも最期は泣き声一つあげずに静かに、眠るように逝ってしまった。だいぶ傷が治っていた前足を伸ばし、伸びきった彼に線香を上げる。こんなのはただの人間の勝手な気休めだけど。
夕方と言うか、長くなった春の日が没した後の18時45分頃に声をかけるが全く反応がなかったので覚悟はしていた。このときは腹部の体温で生死を確認したがその時点で昏睡状態か、あるいは既に息絶えていたのかもしれない。
よりによって本日の夕食が「すき焼き」だったのは彼の死に直接関係無いことだけど、何となく後ろめたかった。こういうことはしっかり書いておこう。
出会い 1991年09月2X日?
初めて会ったとき、
彼は自転車の籠に入れられていた。
その夜、幼馴染みとの喧嘩の末、子犬get。
ちょww略奪品扱いw
彼がやって来たのは多分私が6歳になった夏。5歳だったかもしれないけど、名前をつけたのが弟だったので多分6歳。じゃないと当時2歳の弟が名前をつけたということになる。ちょっと無理っぽい。だから多分弟は3歳だったはず。名前の由来は某超人一家の太郎さん。
台風一過の後にやって来た子犬。
名前はまだない。
若しくはあったけど名づけと共に失われた。
彼の運命を変えたような疑いをかけられている台風の名前は台風199119号、国際名:Mireille(のちにMelissaに変更?)で、今から15年前に日本列島に上陸し経済被害を与えた台風。中心気圧940hPaで1991年9月27日16時に佐世保市南に上陸した。ちなみに現在も指名手配しているが、北海道付近で行方をくらましていてどうしようもないww時効はまだだぞw
この迷惑な台風によって多分もといた場所からはぐれるか迷うかしてしまった哀れな子犬は翌日か翌々日、加古川市の西の端っこにある某町で拾われた。じゃないかな~。
大きな台風の後にやって来た。
当時の私はもうすぐ小学一年生。
こんな曖昧な情報じゃどうしようもないんだけど。何とか絞り込めた。記憶が曖昧すぎる。この辺がこのblogの副題になっていた(現在はなっていないが)on the edge of oblivion 忘却の淵
の限界なのかもしれない。その前の記憶もあるにはあるけど全て断片で役に立たない。それでも大事な記憶で、今の私を作る礎になっているんだろうけど。
高熱で彼は変わった 1992年XX月XX日
家に来てから一年半ほどした頃。
いきなり高熱で生死の淵を彷徨う。
獣医曰く、「もうすぐ死ぬ」。
そのあと今日まで13年ほど生きましたが何か?
でもちょっと熱の後遺症か凶暴化しちゃう。マジでw
こかされ 1992年-1994年
小学校低学年のとき、散歩に連れて行こうとしてタローに引き摺られ、門扉に激突。頭を打ち、二度と散歩に連れて行かないと宣言。以後、一人では散歩に連れて行かなくなる。
はいはいPTSD、PTSD。
13年間 1992年-2004年
毎日ご苦労様。小学校の六年間と中学校の三年間あわせて九年間は毎朝出て行く時に顔を合わせていたけど、高校、浪人と四年間(この website が始まった時期以降)は家の裏口から自転車に乗って出かけていたためあんまり顔を見られなかった。思えば酷い飼い主だ…。
~今日 2005年-2006年03月22日
そして去年。関東に行ってしまえばもう会えない。大学在学中にタローが死ぬんだろうなっていう漠然とした不安はあったけど、それが今日になるなんて思っていなかった。
After passing away 2006年03月22日-
まあ、最終的には残された人の自己満足度の問題になる。勝手だが、最期の8日間必死に介護したのはこの自己満足度を上げるためなんだと思う。実際にタローの役に立てたかもしれないけれど、「何もせずに見殺しにした」という後悔に耐えられそうになかった。それが嫌で頑張っていたのかもしれない。
とにかく老衰で、天寿を全うしきったのは事実だと信じたい。明日の朝、葬儀について市に問い合わせる。
いままでそんなに構っていなかったし、物理的な距離もあったのに、急に寂しくなる。
15年間お疲れ様でした。