No.1290: エンドレスウィークエンド 5
月別表示: 2009年07月の記事 カテゴリー: 雑記
2009年07月06日の日記の概要
梅雨の時期はやっぱり心がふらふらする。
.モニターのアーム
秋葉原のツクモにて液晶モニター用のアームを購入するなどしてきたので、部屋が少しだけサイバーな雰囲気になってきました。前後左右に移動させたり、角度を変えたりと、いろいろ便利ですね。なにより重力から解放されたかのように浮いているモニターが格好良い。これでもう机の上で台座が邪魔にならないし。TVも近いうちに壁掛けにしてしまいたいですね。
家計簿
4月から放置していた家計簿を付けることにしました。
お店で買い物したときにもらったレシートを財布にいれていて、ある程度たまったら贈り物でもらったようなお菓子の缶の中に放り込んでいるんですけど、そろそろ缶も一杯になってきて、捨てたいなぁって思っていたんですよね。
一人暮らしは今年で5年目ですけど、自分で稼いだお金で暮らしていくのは今月でまだようやく4ヶ月目に入ったところです。いったい自分が普段、どれだけのお金を使っているのか、知っておかないと気がついたらお金がなくなっていた…みたいな目に遭います。
その結果、だいたい食費・光熱費、新居での家具などと趣味などに消えていくお金が月々10万円程度ということが判明しました。
先月はPS3を買ったので、16万円の出費で、ちょっとアウト気味ですが、まぁ毎月PS3を買うのでなければこんな出費も良いでしょう。
新居に引っ越して以降、先行投資だと割り切って、ちゃんと地デジに対応している液晶TV、今時Vistaの入ったノートPC、お絵かき夕自在なペンタブレット、すぐに繋がる無線LANのルーター、ロロナのためにPS3、と様々な家電を買ったので、今は自分の部屋がすごく2009年7月っぽくなりましたね。少し前まで、大学入学当時の、つまり2005年春の生活水準でしたから。
でも人間ってやっぱり物欲は止まらないんですね。アームもついてクールになったAcerの22型液晶モニターでロロナのアトリエをやろうとしたらスピーカーがなくて音が出ないことに気がつきました。AQUOSは20型なので、少し映像が小さくなるけど音は出る。モニターは映像が良くなるけど音は全くでない。むむむ……。
というわけで、今月はスピーカーを買うために自炊することにしました。自炊再開ですよ。いったいいつ以来だろうって思うけど、先月も自炊していました。毎日炊飯器を稼働させないと、途中で面倒くさく感じて止めてしまうと毎日の食費が積み重なって、食費4万円とか、食費5万円とかになってしまうんです。こうなったら毎日昼ご飯のためにおにぎり握って職場に行くし。麦茶だって自分でいれるし、もうコンビニはジャンプとマガジンを読むか、ドロリッチを買うためだけに寄るし。コンビニ弁当禁止。
痩せていく
毎日コンビニのおにぎりで生活していたので、なんか少しずつカラダが軽くなっていっています。今日仕事から帰ってきて体重を計ったところ、(禁則事項)キロでした。昨年の夏に比べて12kgほど痩せている計算になりますね。
BMIでいうと、21前後です。目標BMIは19なので、あと少しです。
でも急に痩せると早死にしやすいらしいので、一応まじめに野菜食べて、肉食べて、炭水化物は少なめという感じで暮らしています。
先週はなんか、自分のなかで夕食といえばゴーヤがキてて、毎日最寄り駅の横にある東急ストアにおいてある480円のゴーヤチャンプル丼を食べていました。それとコーラゼロを毎日飲んでいたので、食費がかかるかかる。昼食をマックのクオーターパウンダーとアイスコーヒー(580円)からおにぎり(280円)に変えたのに、トータルではぜんぜん安くなっていない。なんでだー。
いろいろ考えた結果、コンビニに限らず、お店で「炊けたご飯」を買うのは禁止というルールを自分に課そう…そう思いました。おかずを買ってくるのはありだと思いますけど、それも出来れば避けたいですね。蕎麦をゆでるとか、納豆ご飯にするとか、そんな地道な努力の上に、食費3万円未満の壁があるんだと思います。便利な物は高くなるということ。薬だって一包化したら高くなるのと同じ。
触れておかなければいけないこと
彼を忘れないために、この場所に記録することを許していただきたい。
高校の頃の友人が、少し前に亡くなった。
2年半の闘病の末ということで、事実を知ってしばらくはショックで何も言葉が思いつかなくて、こんなにだらだら文章を書く気力も亡くなってしまっていて、ただただ悲しいような、何も思わないような、ぼーっとした感じでした。
4年間の大学生活で、一度も彼を思い出さなかった薄情な自分と、それは仕方ないと思える自分と、開き直るのは最低だと思う自分と、いろんな感情があるんですけど、未だにまとまりません。23歳か24歳で、具体的には想像できないけどとにかく志半ばで、どんなことを思って死んでいくのか。
医療に携わる者として、人の死は遠い世界の出来事ではないのは知っているつもりだけど、でもやっぱり薬局薬剤師って死とは離れた場所に、幸か不幸かいることになっています。新人なので経験不足もあって、日々の業務でもどうも上っ面だけの服薬指導になりがちだし、病気の全体像や、それを抱えた患者さんの気持ちや不満なこと、そういう具体的なことにまでまだ気づけないんですよね。それじゃダメだって分かっていても、副作用が出ていないか訊いて、検査値を訊いて、こんな症状があったら受診してくださいねとか、油断せずに服用を続けましょうっていうぐらいしか役に立てないものです。
でも、決して自分たちの存在は無駄ではないし、無力ではないと信じています。
今よりは役に立てる薬剤師になりたいと思います。
死生感
でも、なんか最近、長生きが幸せだって、まっすぐに考えられなくなってしまいました。
誤解されそうだけど「早く死にたい」ってのが本音ですね。
早くっていうのは、一刻も早くという意味では(断じて)なくて。
死に際に、少し未練を残すぐらいでちょうど良いんじゃないかなぁって意味です。
生きていれば楽しいことも、苦しいこともあるわけで、楽しいことが多いうちは生きたいです。
それが自分自身の命について感じる最近の考えです。
他の人の命とか生についての哲学については、人それぞれだから、強要もしないし、自分もされたくないです。
確かなのは、友人が亡くなるのはどうしようもなく悲しいできごとだった、ということです。