No.791: オタク文化と平安貴族の文化の類似性
月別表示: 2007年03月の記事 カテゴリー: 未分類
2007年03月15日の日記の概要
excerpt
.コードギアスの感想はそのうち別に書くことにする。コードギアスの作中の学校内での歴史の授業をよく聞いていると、現実の(我々の知っている)英国の歴史について相違が見られる。つまり「神聖ブリタニア帝国」っていう国はイギリスがアメリカ大陸に遷都した世界における超大国という設定のようであり、それ故にイギリスから独立した(我々の知っている超大国)アメリカ合衆国はコードギアスの世界では成立しなかったと。
またまた濃い設定のようで、続編の制作も正式に発表されているらしく、今のうちに作品の内容を知っておくとしばらくInternetでの会話や小ネタに困らずに済みそうな予感。
「オレンジ事件」とかね。知らなくても良いけど、気になるじゃん。
今日は、みんながなんとなく考えていることを文章化するって言うのをやってみる。
誰かが既に指摘しているだろうけど、知っている人にしか分からない知識(たとえば「オヤシロさま」とか「全力で見逃せ」とか「禁則事項です」とか。)は流動的で時に無駄だけど、平安時代の歌詠みの人たちに通ずるものがあるんじゃないかと思う。あれは千年も前の話だけど、一応現在でも読むことができる日本語が使われていて、漢字または成立間もない仮名あるいは変体仮名で記述されているわけで、解読にはそんなに時間や手間はかからないはず。
それなのに、受験で出題されると曲者というか、文脈が難解に感じられることが多かったと思う。それもそのはず、彼らと我々の間には千年もの時間が横たわっていて、その文化や生活様式の経時的変化によって「常識」そのものが変容してしまっているから理解しにくくなっている。これは文化が違えば同じ時代の別の文化圏に属する人間の間にも生じ得る言葉以外の壁だと思う。さらに、趣味が違うだけで生じる小さな壁もあるだろうし、そういう「壁」っていうのは、「知りたい」という好奇心でしか取り払えないものだろうと思う。通訳を使うにしても「壁」が間に介在する状況では必ず意思の伝達に齟齬が生じるだろうし、そもそも通訳や翻訳は、それらを介する以前の情報以上の情報を持ち得ない。良くてそのまま伝わり、悪ければ全く別物になってしまう。
と言うわけで、色んなことに首を突っ込んでおくって言うのは良いことなんじゃないかなと思うわけです。特に、Internetって、自分の興味のあることしか見つからない構造をしているしね。知っている情報をより深く知るのも大事だし、その周辺の知識をより増やしていくのも結構だと思う。でも、それだけじゃ、似た思考を持つものだけが塊を作るだけで、次に続く道が見つからない。時には新しい、未知なる物に目を向けないと閉塞してしまう。
だって、「自分の知らない単語」で検索することはあり得ないでしょう。Wikipediaやニコニコ動画などで延々と時間を費やしてしまうのは、知らなかった世界へのhyperlinkがそこにあるからで、人は「知りたい」という欲求だけで簡単に徹夜してしまう。毎日おなじことを繰り返すのを嫌いつつ、踏み出せない。新しい世界に踏み出すのはenergyが必要だから、出来ればhomeostasisを優先したい。けど、疲れるけど新しいことを知りたい、好奇心を満たすため、transistasisを求める。
最初から、この文章を上手くまとめようとは思っていませんでした。ただ、安定を望むのは仕方が無いけど、「知的好奇心」を鈍らせないように生きたいものです。
ただ、興味が無いのに無理に何かを知ろうとする必要は無いとも思っています。それは、まだ知る必要が無いだけで、動機があればそのとき無理強いされて知るよりも数倍早く未知の情報を既知の情報へと同化することができると思うからです。