No.817: 「泣きゲー」で泣けないと損をする。
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2007年04月14日の日記の概要
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.明け方に起きようとして、失敗すること約半月。これは、本当に、紛れも無く、春の到来の証拠。土曜日なのを良いことに、今日は起きたら昼を過ぎていた。それから、野菜炒めを作って、途中で気が変わって、そのニンジンとキャベツの混合物をラーメンの具に変更して、割と健康的な醤油ラーメンを作って、食べた。これだけ野菜が入っていれば、ラーメンとはいえ、体に良いだろう……と思って口に入れたら、とても辛かった。
野菜炒めの味付けのまま、濃い味の付いたラーメンの具に変更したからだ。
そして、ラーメンを食べながら、Kanon -カノン- を見始める。今日見たのは、第20話以降でした。いよいよ、物語の核心に迫る場所。主人公が7年前の記憶を失ってしまっている理由と、7年前の記憶の内容が、蘇ってきます。最後まで見れば、なんてベタな展開なのかと思うかもしれないけど、今になって、そう思うのは、ある程度、この時代には、Kanonを模した「泣きゲー」やそれに似た映画があるからだと思うのです。もちろん、その原点がKanonだと言う訳ではなく、Kanonもまた昔からある類の物語の一つに過ぎないでしょう。当時は、あの展開が衝撃だったことでしょう。何気ない日常に、少しだけ虚構が入り込んでいるという作品の構成はもはやfantasyだ。でも、前半の真琴の例が、そんなこと、既に分かっていたじゃないかと視聴者の作品への信頼を補強してくれます。日常が描かれて、日常が壊れて、その悲しみに耐えて、強くなって、また日常を取り戻すという、人生の中に何度も現れるであろう繰り返しと、そのたびに強くなっていく様子を音楽のKanonに喩えるという発想がいい。これまで、Kanonを避け気味だったけど、本当に、高校生ぐらいで出会わなくて良かった作品だった、いい意味で。
あと、Kanonには、音楽のkanonが使われていて、作中でその意味が語られる場面がありました。Kanonは、同じ旋律を繰り返しながら少しずつ豊かに美しく和音が響き合うようになっていく
音楽で、追復曲(追複曲?)と漢訳されている。今日で、Kanonを全部見終わったので、明日、日曜日には感想を書いておこうと思います。例によって、数ヶ月かけて少しずつ情報量が増えていくと思います。が、明日の段階では、たいしたことは書けないと思います。