No.902: たんぽぽに何の罪がなくても
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2007年07月18日の日記の概要
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.ひぐらしのなく頃に解を引き続き継続。
現在、罪滅し編です。
見え透いた選択肢の見えない、一本道のサウンドノベルという形で物語が語られるので、その一つ一つはあたかも人生のようなものに見えます。我々は、ある朝おきたら選択肢があって、選ぶまで待っていてくれるなんていう都合の良い世界に住んでいるわけではないので、物語が残酷に進行していく様子は、まさに、この世界のよう。
TIPSの箱選びゲームで述べられたように、選んだ後に、選ばなかった選択肢の先を知ることが出来ないなら、選択肢を前に迷わずに選べる。
それは確かに、その通りで。
だったら、これから5年間、自分の思ったとおりに自由にやってみても良いな、と思った。
同時に、だったら適当に選んでも後悔するべきことじゃないんだろうな、とも。
卒業後5年間の生活を選んでください。
A.関東で、身を削り、同期と凌ぎを削る研究生活。
B.どこか田舎で、薬局薬剤師になる生活。
▼
どちらにせよ、就職した者の何割かが離職する、この世の中。
目の前の選択肢のいずれを選んでも、渦中では窺い知ることも出来ない状態遷移確率に従って数年後には同じ場所に立っているかもしれない。
人生ゲームだって、本物の人生だって、生きる希望がなくても、最低限、生きる為の金は必要で、だからみんな生きるの?だから、続けるの?
死ぬのはたぶん、いざとなれば、日常に生きる誰もが想像するよりも簡単なことなんだと思う。そしたら、もうお金も要らないんだよ。
死んだ人は、誰にも咎められない。
だって、他人に言われても死んだ当人には聞えないんだから。
最近考えること。
約一ヶ月前の水曜日に深夜に会って一晩話した誰かさんのL5事件以来、よく考えること。
あれは身近に起きた、遠い世界。
残酷だけど、対岸の火事なのだ。
くまぇりでもいない限り、延焼の恐れは皆無。
私に彼を理解するだけの感性がなかったことが、彼にとっての不幸。
私にとっての幸運。
だって、海や川でもない水溜りで、勝手におぼれかけている人を見たら、そう思うでしょう。ああ、自分にとって、それは水溜りに過ぎないのに、彼はあんなにも苦しそうな振りまでして……滑稽だと。
でも、助けるまでもない苦しみだと私に思われた不幸な彼は、それ以来、放置されて今も苦しみ続ける。もしも、彼がおぼれる水溜りを海だと認識していたら、彼は立派な要救助者で、第一発見者が、もっと大騒ぎして助けることが出来るのかもしれないのに。
でも、幸運だったのは、その水溜りが川に見えなかったから、彼を助けるために、その水溜りに飛び込まずにすんだこと。もしも真剣に取り合って、海を川だと誤認したまま入水していたら、一緒になって苦しむことになっていたのだから。
幸福を失いたくないと騒ぎながら、騒ぐことで自ら失っている哀れな人。
でも、残念なことに、救おうと思わない。
だって、私には彼が水溜りで戯れているように見えるのだから。
既に得たものに固執せず、
一見重要そうなものでも何度でも検証し、
もはや重要そうにさえ見えないなら諦め、
下らない荷物に拘泥せず、
いつでも自分を改変できる
柔軟性と、可塑性をもって
生きること。
これは、あくまで、自分の決意表明のようなもので、「生きること」は目標に過ぎない。まるで、科学のような、当たり前のことが出来ないで、袋小路で思案に暮れる馬鹿ばかり。
科学と人生は違って、3年前に読んだ本のおかげで、この世界が何時でも「退場」できる自由に満ちた世界であることを良く知っている。科学は、人が死んでも、代わりが要るけど、人生には代わりはいない。
袋小路の中で、「現実」に追われ精神的、肉体的拷問を受けるぐらいなら、こちらから退場してやる。
年間3万人、1日100人近い実践者が常にいるのだ。
この世を甘く見ないほうがいいと思っている。
有象無象の悪意に晒される、苛烈な世界だ。
中には、悪意を妄想して死んだ人もいるかも知れない。
それは病気に起因する。
中には、消された要人もいるかも知れないwwwww
でも、袋小路から来た道をまっすぐ引き返していくと、一つ手前の分岐に至るはず。中には、もう進めないようになっている分岐や分岐があったのかさえ分からない場所もあるかも知れないけど、全部じゃない。諦めなければ、もう少し、戻れるかも知れない。
たまには、初めは見えなかった選択肢が見えるかもしれない。
その選択肢の出現には、引き返すことが必要だったのかも知れないから。
今度はその道を進むといい。
自分が、何のために、何をしているのか。
それを確認しながら生きないと、これから先の数十年が無駄になるかも知れない。
誰も、選択肢は提示してくれない。
自分で、選択肢らしいものを人知れず探していかないと、みんな同じ土俵で生きるのだから、誰も人の選択肢まで面倒見てくれない。
極論すれば、世の中、金があれば生きていける。
なければ退場するしかない。
お金を稼ぎ、食べて、お金を稼ぎ、生きる、単調で退屈な自転車操業のような生活に適性がなければ(この世で生きていくのは)難しいのかも知れない。
それがあっても、勝手に自滅していく人はいっぱいいる。
特に前述のL5発症者は、とても理解できない。
私よりもずっとずっと年上なのに、そんなに水溜りが好きですか。
あの夜以降、冗談ではなくて、本当に彼が病んでいるんじゃないかと思っていますが、完全放置です。
そんなに人間好きでもないので。
それに、強靭な精神状態を自負する訳でもない。
深く関わると、自分にも影響がでる。
彼に罪がなくても。