No.903: ひぐらしななのかめ解 祭囃し編
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2007年07月19日の日記の概要
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.少しだけでも薬学から離れた生活を送ってみよう、ひぐらしのなく頃に、ひぐらしのなく頃に解、ひぐらしのなく頃に礼を買って来た。
それは先週の土曜日だったっけ。
そのはずなのに、祭囃し編の冒頭は、微生物の話。20世紀の微生物学の発展とか、細菌や感染症、そして精神病の研究の話。こっそり壇原教授に薦めたくなったのは秘密ですよ。
ひぐらしのなく頃に解は名前の通り、前半に次ぐ解答編。鬼隠し編から始まった「おどろおどろしい」昭和後期の寒村「雛見沢」という巧妙な世界の仕組みが顕にされ、オヤシロ様の正体が、いろいろな角度から明らかになっていく様子は、まさに解答編といえるだろう。その中でも、いろいろあったけどやっぱり本当にオヤシロ様が「居る」んだ、という結論に落ち着くのもなんとも奇抜でよい。
平成18年の夏、ひぐらしのなく頃にを初めて読んだ(多分、月刊ガンガンで連載された「暇潰し編」だったと思う。だから他の話も主人公は赤坂だと思っていた。)ときは、ただの「萌え」るのか非常に微妙な絵を付けた、夏特有の和製怪奇小説なんだと思った。しかし、全7話と祭囃し編冒頭まで読み進めていくうちに、実は、自分の専門分野に非常に近接した、興味深い空想なんじゃないかと考えを完全に改めさせられた。
化けの皮を剥いだらとんでもないSFだった……みたいな。実際に小説を読んだことがないので内容を把握していませんが、パラサイト・イブに似ているのかも知れない。2年の生化学の講義でmitochondrionを勉強したときに何度か紹介されたと記憶している。以来、読んでみたいとは思っているのだが、未だ読めないでいる。パラサイト・イブは今から10年前に映画が公開されたということと、当時のスクウェアがゲーム化したことで有名だったが、興味深いのは、著者の瀬名 秀明が東北大学の薬学部卒(のち薬学博士)だということ。同じ薬学を学ぶものとしては、10年前の小説だとしても、興味深く思う。
尤も最近は、文才だけでは売れないらしく、「萌え」をいかに組み込み、共生していくかが生き残れるか否かを分けるようだ。もちろん、萌えは萌えでこの10年の間に大きく形を変えているようだ。将来、薬学系科学小説を想起したとき、萌え絵が書けるかどうかで売れるかどうかを左右するのならば、多少の追再試覚悟で絵心を養った方が良いのではないかと真剣に悩みつつある。
感染症型精神病とか、思想の件はこれが作り話でも、あまりに危険な内容だと感じた。でもそれを十分に理解した上で発表されている作品だと思った。それに、こういう突飛な空想力というか、論理の飛躍というのは科学には不可欠な才能なんじゃないかとも思う。science fictionとscienceの違いは、実はあまり厳密ではない気がする。ただ、この世界で検証できるかどうか、つまり客観性があるのかという一点だけに掛かっている。
ところで、ひぐらしに登場する「平行世界」や「数多の世界」という表現で思ったんだけど、梨花のように記憶を引き継いで何度も乱数の介在する昭和58年を生きるのは辛いと思うけど、記憶が引き継げず、全く同じ世界を繰り返すっていうのも怖い想像だと思う。
自分が死んだら全く同じ時間軸上の自分に生まれ変わるっていう「信仰」。
これはかなり大きな自殺の抑止力にならないかな?いや、記憶がないなら別にいいやということで、抑止力にはならないかな。
つまり、「今」の自分が自殺すれば、「過去」の自分の必ず自殺で死んだということ。そして、一度でも「今」の自分が自殺すれば、未来永劫、全ての自分が自殺で終わる。
無限ループって怖くね?
っていうのが根底にある訳だけど。
あ、これ将来、三四さんみたいに「神」を捏造する時に経典に書く予定なので盗用禁止だからねwwwwwwwwwww