No.958: Downer October
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2007年10月12日の日記の概要
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.この先生きのこるには
「やる気」っていうものは電気のようなもので,有り余っているときには活かしきれず,足りないと体が動かない.もしも「やる気賦活系」に隠れた予備電源があって,何かの力がそれを引き出すことができるのだとしても,それを使い切った後は終わりしか残らずに,そして本当に終わるしかなくなっていく.
何か栄養を採ればやる気が戻るのでしょうか?
薬学を勉強して,ある特定の目的に活かそうと思っていたことがありました.
やがて,その目的が叶うのは遠い未来のことだと気付き始めます.
出来るとしても,それが叶うような未来は永久に選ばれないかも知れません.
そして,動機が潰えてしばらく経って,つい最近になって新しい動機がその隙間を埋めました.
それが中枢神経薬理という分野.
でも,その新しい動機には,もう以前ほどの「やる気」を貯めておくだけの電源がなくて.そんな中途半端な動機で「頑張っているんだ」という自己満足を得るために,これから数多の実験動物の命を奪いながら,自分は生きて.
その先に何もないとしたら,あの籠の中のマウス(ddy系)やラット(Wistar系)は何の意味もない儀式的な殺戮を受けただけと言うことになってしまう.
そんなことを考えずに頑張ればいいだけの話だけど,今年の初夏に,眼前に迫る大問題を無視して目の前のことだけをだただた処理し続けた人の末路を目の当たりにして,そうなりたくないと感じた.
いつでも薬剤師として働ける.
国試がダメでも,いざとなれば全く関係のない職種を選ぶことが出来る.
そういった退路を確保できて初めて,先に進める.
最後の退路はこの世から消えることだけど,今のところその予定は全くない.
事故か事件かで偶然そうなったとしたら悲しいことだけど,わりと良くある悲劇の一つでしかない.
どっちも,こちらから選ぶようなものではない.
ちなみに末期癌だと告知されたら,まだ体が充分に動くうちに死にたいと思うので告知して欲しいと思っている.
「皿うどん」
Kanon DVD vol.7のcommentalyで皿うどんについて熱く語る麻枝准氏に心を打たれて,ついさっき,23時だというのに賑やかな肉のハナマサに行って皿うどん10人前を仕入れてきました.毎日一食分ずつ買っても良かったのですが,お店のおばちゃんに顔を覚えられてしまうと他の食材を買うのに抵抗を覚えるようになるような気がするので,10食分まとめ買いをすることで印象に残らないように気をつけました.でも,これでまた10日後に10食分購入して,その次も皿うどんを買い続けていたら,それはそれで印象に残ってしまうかもしれないと,いまから気がかりですね.
っていう分かる人にしかわからないネタ.
そのほか,今週末には「ガンバの冒険決死行」が行われるかもしれませんが,やっぱり一番最初にこういった日常のどうでもいい「こだわり」とか「自分ルール」について赤裸々に,それでいて熱く語ったり書いたりする人はすごいな,と尊敬してしまいます.
移り気の激しい「強い意志」
最近,操作の少ない実験が多いので,実習中に私語が許されることが多い.
そのせいか,結構いろんな人と話すようになった.
「人」が恋しくなると孤独に勉強を続ける意思っていうのが湧かない.
きっと,そういったものを知ってしまったから,「動機」が薄れていくんだろうなと.
「薬」の勉強なんて健康な人には必要のないことだし,話題としても面白くないから.
でも,どうして人は思い悩み,壊れていくのか.
或いは,そうしてある日を境目に,人格が崩れていくのか.
よく「意識が戻らない」というけれど,意識はどこで生じていて,戻らないというのはどういう状態なのか.
そういう好奇心はあるので,希望が通って良い研究室と出会えたら頑張ろうと思う.
機会がなければ,他の事を考える.
ここ数ヶ月で微妙に視野が広がったのだとしたら,上で書いた動機の喪失というのはむしろ良かったのかも知れません.
そして恐らく,興味の幅と動機の強さは無関係だと思います.
積み重ねてきたものが折れてしまったときに,すがりつくものを持っている方がいいにきまっている.
―――他のことに全く興味がないのは甘え.
……と,どうでもいいことを書いているうちに「もやしもん」が始まりました.そのあとはCLANNADです.